テーマウォール
奄美の暮らしは海と切り離せない。昔は、先人たちがよく海を眺めている光景が各集落で見られた。潮の干満の変化や月の満ち欠けで、人々は時間や天候、そして漁や農作業など労働や生活の仕方についてのありよう(社会または集団が共有している生活の仕方についての様式や認識)などを予測するならわしがあった。暦の上では新暦に変わっているが、今でも奄美は農作業や生産などが旧暦のサイクルのリズムに合っていることから、年中行事は旧暦で行っている(集落によってはお盆を新暦に変えているところもみられる)。
年中行事とは季節の変化がもたらす自然の恵みなどに感謝し、毎年繰り返される集団的な伝承行事をいう。南島社会・奄美では、農業生産のための予祝(一年間の豊穣を祝い願う行事)や、豊作と除災の意味を持つ折目節句の季節祭が中心で、稲作地帯では旧暦10月の播種(はしゅ)(作物の種子をまくこと)から翌年6月の収穫までは、厳しい労働と物忌(ものい)み(祭事において神を迎えるために、一定期間の飲食や行為を慎み、不浄を避けて心身を清潔に保つこと)の連続であり、残る3ヶ月間が、さまざまな禁忌から解き放たれた歓楽と祭りの期間であった。
昇曙夢氏は「大奄美史」の序章で、以下のことを記している。「わが奄美大島は、琉球とともに日本文化の南限地として、悠久なる伝統を有する特徴の文化圏を構成している地域である。ただその位置が南方僻掫(へきすう)(注1)の地に偏在するがために、従来文化的に恵まるること極めて薄かったが、同時にこの孤立不便の環境が却って古文化の保存に幸いして、日本上代の貴重なる文化の原始形態を比較的豊富にかつ純粋に保存し得たことはわが郷土の誇りである。現に奄美諸島には、日本本土においてとうに消滅した古代の風習や言語や土俗が多分に残っており、この点だけでも、日本上代文化の宝庫または博物館として貴重な存在であるが、そればかりではない。奄美大島は地理上薩摩と琉球との中間を占め、日本と大陸及び南洋との間に介在して、古来交通の要衝であったところから、つとに文化的搬路または文化交流の中継地として、大きな役割を果たして来たことは言うまでもない。」
昔、奄美の精神世界を象徴するノロの祭事を中心に一年が動いていたが、それと対比させて、一般家庭での風習や民俗、文化を含めた年中行事を、主に昭和30年代の写真とともにテーマウォールでは紹介している。
(注1)僻掫(へきすう):へんぴ
奄美の年中行事